藤袴胸に刻むの

                                                 小田原漂情                               

 

 

遠いむかしのお話です。

 

 真福田丸(まふくたまろ)は、大和の国、そう今の奈良県にある、大きな長者のお屋敷で、お母さんと二人でくらしていました。お父さんは早くになくなってしまい、母の手一つで育てられたのです。

 お母さんの仕事は、お屋敷の門番です。ふつうの家の四、五軒ぶんもありそうな、大きな門のそばにある粗末な小屋が、住まいをかねた仕事場でした。そこで真福田丸を育てながら、朝から晩まで、屋敷に近づく人を見はります。不審な者が近づくと詰所の兵に鳴子(なるこ)で知らせ、ご主人へのお客の時は、母屋の女房〜この物語では、お女中と呼びましょう〜に取り次ぎました。

 

そのお屋敷は、真福田丸のいる門から、長者の住む母屋まで、まっすぐには見通すことのできないような、大きな大きなお屋敷でした。

 そして広い庭の中には、花いっぱいの築山(つきやま)に囲まれたうつくしい池があり、季節ごとに、とりどりのみごとな眺めが、人々の心を楽しませていたのです。真福田丸のお母さんや、お屋敷の人たちは、春になると池のほとりで芹を摘むのが、何よりの楽しみでした。

 真福田丸は、去年お母さんに連れて出てもらい、芹摘みを覚えたので、今年は冬の間から、ひとりで芹を摘みに行くのを、今か今かと、心待ちにしていました。そしてお母さんや仲間の女房たちの会話から、そろそろ芹を摘むことができそうだということを聞き知ると、居ても立ってもいられなくなってしまったのです。

 お母さんは、真福田丸が一人で芹摘みに出ることを、ゆるしてはくれません。池のそばだからあぶないし、まだ幼い真福田丸には、入っていい場所とそうでない場所との違いも、よくわからないからです。

 けれど、だめだと言われると、なおさらやってみたくなるのが、人の心というもの。まして幼い真福田丸には、見たいもの、やってみたいことへのはやる気持ちを抑えることなど、できるはずもありません。

 

ある日、お母さんが母屋に呼ばれ、おおぜいでとりかかるぼた餅づくりに出かけた時、とうとう真福田丸は、去年使ったかごをさがし出し、背中にかつぐと、門の前に立っている兵たちに見つからぬように気をつけながら、お庭の中ほどにある池をめざしました。

はじめて一人で来てみると、そこはもう、今まで知らなかった別の世界のようでした。お庭の築山に咲く花も、その一つ一つが、見たこともない色にかがやき、「よく来たね」とささやきかけてくるみたいです。幼い真福田丸の足では無理もないのですが、ずいぶん遠くまで、旅に出てきたような気分です。そのくせちっとも、つかれません。

いつしか真福田丸は、築山のひとつを回ってしまい、母屋の奥座敷に近い、池のいちばん奥のたまりに、近づいてしまいました。

子ども心にも、そこが何か自分たちとは違う世界のように感じられて、思わず引き返そうとした時です。

真福田丸の胸のおくが、はげしく鳴り出しました。どくん、どくん、という心臓の鼓動の音が、まわりに響くほどにも感じられます。

その音に気づいたはずもないのですが、池のほとりに立っていた赤い着物の美しいむすめが、真福田丸に気づいた様子で、こちらを見ています。お屋敷の姫様でした。

真福田丸の頭の中に、お母さんの顔が浮かびました。ぼくがこんなところへ来てしまったせいで、お母さんが叱られる。どんな罰を受けるかわからない。

すぐにあやまって、帰らなければ、と思うのですが、どうしたことか、真福田丸は、その場から動くことができません。これまで感じたこともない、まぶしい光のようなものが、真福田丸の全身をつらぬいています。そして真福田丸は、まるで夢の中にいるような、おっとした気分になってしまったのです。

花柄をあしらった真っ赤な着物に、肩よりもながく、流れるような美しい黒髪と、気品のある、ととのった目鼻立ち。ひとみは吸いこまれるように澄み切って、この世のきれいなものだけを、見分けるようです。そのひとみを見ているだけで、真福田丸は雲の上にのぼるような気持ちになりました。

母と二人のまずしい暮らしで、今までとんと知らずにいた、夢のようなひととき・・・。

やがて母屋の中から声がして、姫様はすぐ、そちらへ行ってしまいました。真福田丸は、しばらくの間、帰ることも忘れ、だまってそこに立っていました。

 

次の日から、真福田丸は何も手につかず、食欲さえなくなって、病人のようになってしまいました。

「丸(まろ)、どうしたのじゃ。」

 お母さんが心配してたずねても、何も答えません。答えられるはずもないのです。お屋敷のお姫様にあこがれるなど、そんな気持ちを持つことだけでも、おそれ多い時代です。身分違いの恋、それを口に出すことすら、真福田丸には考えられないことでした。ましてお母さんがそうと知ったら、どんなに困るか。それがわかっている真福田丸は、口が裂けても言えないと、かたく心に誓っていたのです。

 ご飯ものどを通らないため、真福田丸は床についたきりになってしまいました。ここへ来てお母さんは、わが子の命を助けたい一心で、真福田丸に何が何でも本当のことを答えるよう、命令しました。

 「うん、じつはね・・・。」

 真福田丸は目に涙を浮かべながら、あの日こっそり芹摘みに出かけたこと、奥の池でうつくしいお姫様に出会ったこと、それから片時も忘れられないことなどを、打ち明けました。一度話しはじめると、せきを切ったように、姫様へのせつない思いがあふれ出します。

 「あれ、この子は、何とまあおそろしい・・・。」

 そう言ったきり、お母さんも二の句がつげなくなってしまいました。幼い真福田丸でさえ、お屋敷のお姫様を心に思うことのおそれ多さを知っているのです。ましてやお母さんにとって、身分の違うご主人さまのお嬢様に息子が懸想(けそう)するなど、断じてあってはならないことでした。

 わが子はかわいい。けれどもこの身分違いの恋だけは、どんなに息子が望んでも、どうしてやることもできない。思いつめる真福田丸の様子を見ていると、お嬢様をあきらめろと言うことは、わが子に死ねというのと同じでした。それにこの様子では、真福田丸は本当にやせおとろえて、ほどなく死んでしまいそうです。

 真福田丸を案ずるあまり、お母さんも具合が悪くなり、親子はとうとう二人して、床に寝たきりになってしまいました。粗末な門番の小屋に、世をはかなんだ親子が二人、明日の命も知れぬ様子で、伏せるありさまとなったのです。

 

 ところが、悪いことばかりがつづくわけではありません。お母さんが寝ついて二日目の午後、様子を案じたお屋敷のお女中たちが、親子の住む小屋へやって来ました。仲の良い一人は、親子が伏せっているのを見て、たいそう驚き、お母さんの枕元へかけよりました。

 「一体、どうなさったというのです。何か悪い病にでも・・・。」

 お母さんは、重い口を開き、息も絶え絶えに答えます。

 「いえ、そんなに大した病などではないのです。ただ、うちの丸が、こともあろうにお屋敷の姫様に一目ぼれなどしてしまって、あまりのおそろしさに、こうして親子二人、死ぬしかないと思い悩んでいるのです・・・。」

 お女中たちは、吹き出しました。真福田丸親子にとってこそ、生き死ににかかわる重大事だったのですが、傍(はた)から見れば、年端もゆかぬ真福田丸が姫様に恋したばかりか、親子で生きていけないとまで、思いわずらっているさまは、むしろこっけいなものでした。

 心得のあるお女中頭は、すぐお屋敷へたち戻って、姫様にだけ、そっとこのことを告げました。姫様は、器量が良いだけでなく、とても慈悲深い方でした。

 「まあ、かわいそうに。何も思い悩むことなどありません。早く病と縁を切って下さいな。」

 その言葉を伝えられると、親子は大喜びで、食事もとれるようになり、もとの通り元気になりました。

 ほどなく、真福田丸にとって、天にものぼるほどの日々がはじまります。

 真福田丸を元気づけるためでしょうか、姫様が、そっと真福田丸を呼びよせ、こんなことをおっしゃったのです。

 「人に知られないように手紙のやり取りなどするのに、そなた書けなくてはどうにもなりません。字をお習いなさいな。」

 真福田丸は喜んで字を勉強し、一日二日で身につけました。すると今度は、

「そなたが私の家の婿になって、いろいろとお屋敷のことを切り回す時に、学問がなくては困ります。学問をなさい。」

という姫様のお言葉です。真福田丸は猛然と勉強し、学問によってものごとの真理を見きわめるほどになりました。

 「目立たないようにわたくしのところへ来る時に、子どもの姿のままではよろしくありません。お坊さんにおなりなさい。」

 言われる通り、真福田丸は僧になりました。

 「特に用もないお坊さんがそばへ来るのは、変です。般若心経や大般若経をお誦みなさい。祈禱をお願いしたお坊さんとしてあつかいましょう。」

 と言われれば、むずかしいお経を一心に覚えとり、姫様の求めのままに誦みました。さらに姫様は、このように言いました。

 「まだもう少し、修行してお出でなさい。そして護身の修法を行なうようにして、私のところへ来るのです。」

 真福田丸は、姫様の命ずる通りに精進し、自分を高めて行くことに、この上ない喜びを感じていました。そこでこの時も、姫様のそばをはなれることに一抹の不安をおぼえたものの、姫様のお心にかなう人になることこそ、自分の生きる道なのだと思い定めて、修行の旅に出かけたのです。

 姫様も長い修行の旅に出る真福田丸をいとおしんで、真新しい藤袴をととのえて、真福田丸に下さいました。しかもその袴の片方は、姫様が自分で縫って下さったのです。

 

 真福田丸の修行の旅が始まりました。長く苦しい旅でした。目もくらむような断崖をつたい歩き、肝を冷やしたこともあります。山の上のお堂に、七日七晩籠ったこともありました。

 またある時は、おそろしい山賊に取り囲まれて、ただただお経をとなえるばかりでした。幸いにもこの時は、突然の落雷がすぐそばの杉の大木を真二つに断ち割って、おそれをなした山賊どもが、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったのです。

 真福田丸には、思い当たるところがありました。

 姫様が手ずから縫って下さった、あの藤袴です。どんなにつらく苦しくとも、片時も離さず身に着けている藤袴が、力を与えてくれるのです。とりわけ姫様手縫いの片袴を通している右の足には、自分自身の持っている以上の力が、みなぎるようでした。山賊どもに囲まれた時も、とにかく生きて姫様の身を護る、その一念で一心にささげた祈りが天に通じて、あの雷を落としてくれたのにちがいありません。

 こうして雨の日も、雪の日も、また耐え難い炎暑の日も、真福田丸は修行にはげみました。姫様の面影だけを胸にあたため、りっぱな僧になった姿を見せて喜んでもらうその日のことを、夢見るようにして。いくたびか年がめぐって、幼かった真福田丸も、たくましい若者に成長しておりました。

 やがて姫様との約束の年限が近づき、真福田丸はなつかしい、大和の国への帰途につきました。このとき真福田丸は、ただいっときもはやく姫様にお会いしたい、その一心でした。何年も会わないままでしたが、真福田丸の心の中には、自分を待っていてくれる、うつくしい今の姫様の微笑みが、いつも浮かんでいたのです。

 「ああ、やっとお目にかかれる。姫様はりっぱになった今のわたしを、喜んで迎えて下さるだろうか。」

 生まれ故郷でもある大和の国に近づきながら、ひとつの尾根を越え、ひとつの谷をわたるたびに、真福田丸のまなうらには、姫様の笑顔が大きくふくらんでゆくのでした。

 

 ところが、ああ、何としたことでしょう。

 

 なつかしいお屋敷にやっと帰った真福田丸を迎えたのは、姫様のやさしい微笑みではなく、お母さんとお女中頭が涙ながらに彼に伝える、悲しいてんまつした。

 真福田丸がお屋敷に戻る、そのほんの半月ほど前に、姫様はふとしたことから熱が出て、そのまま重い流行り病にかかって、はかなく死んでしまっていたのです。

 姫様の願いで、お屋敷のはずれにお堂が建てられ、姫様はそこにまつられていました。お堂の前からは、幼い日に真福田丸が姫様と出会った池のあたりが、はるかに見わたせます。

 真福田丸は長者様のゆるしを得て、三日三晩お堂にこもり、姫様の菩提をとむらいました。りっぱな青年僧となった真福田丸のとむらいを、長者様と奥方様、つまり姫様のお父様お母様も、たいそう喜んで下さいました。

 けれども、それがいったい何になりましょう。真福田丸の心は、はりさけそうでした。自分が仏法を修行したのは、姫様をとむらうためではない。姫様をお護りするためだ。お経をあげながらも、真福田丸の胸の奥にはそんな思いが渦巻いていました。姫様がいないのなら、これまでの修行も役に立たない、いっそわが身もお供をして・・・と、わるい考えも浮かびます。でも無理もありません。真福田丸には、ただ姫様に尽くすことだけが生きがいだったのですから。

 ところが、三日目の朝が明けかかり、とむらいが終わりに近づいたころです。真福田丸のまなうらから消えることのなかった姫様の面影が、ありがたい仏様のお姿に変わってゆくのを、真福田丸は感じました。そしてお経を読み終えると、真福田丸の心は、すっかり切りかわっていたのです。

 「今までのわたしは、ただ姫様のためだけに仏法を修行し、姫様のことだけを考えて生きてきた。でも、それは間違いだった。これからはまこと仏の道のみに精進し、苦しむ衆生(しゅじょう)を救うために生きよう。それならば、姫様もきっと、喜んで下さるにちがいない。」

 そして姫様の形見の藤袴を護摩の火で焚きあげて、長者様や自分の母にも暇乞いをし、さらなる修行の道をめざすために、大和の国をはなれました。

 

 こうして真福田丸は、それからの一生を仏の道に精進し、国中を修行して歩いて、尊いお上人と呼ばれるほどのお坊さんになりました。その名を智光上人と言います。むずかしいお経を解き明かした書物などもたくさん書き、とうとう極楽往生をとげました。

 智光上人が亡くなった後、お弟子たちは、ご供養のために行基菩薩をお招きしました。行基様は、礼盤(らいばん)にお上がりになると、こうおっしゃって、ほかにはひと言も発することなく、下りておしまいになりました。

 「真福田丸が藤袴。われ縫いし片袴。(あの真福田丸の藤袴よ。まぎれもなく私が縫った、あの片袴。それをはいて、そなたは修行にお出かけになりましたね。)」

 お弟子たちは不思議に思い、行基様にたずねました。すると行基様は、こうお答えになったのです。

 「亡くなった智光どのは、必ず極楽往生するはずの人物だった。ところがふとしたことから道に迷っておられたので、私が仏道への方便として、このようにお導きしたのです。」

 お弟子の一人は、もともと温和な智光上人のお顔が、この上なくやさしいお顔になっていることを感じました。別の一人は、幼い真福田丸が夢見心地で天にのぼってゆく、その姿をたしかに見たのだと言います。そのとき真福田丸が、あの藤袴をしっかり身に着けていたことは、言うまでもないことですね。

 

 智光上人も行基菩薩も、実在の人物です。古くから伝わるこのお話では、次のように説明しています。

 「行基菩薩は文殊菩薩(仏の智慧を象徴する菩薩で、普賢菩薩と共にお釈迦様の脇侍をつとめる)の化身(けしん)であり、真福田丸は智光上人の幼いころの名前である。行基は智光を導くために、かりに長者の娘としてお生まれになった。そしてこのように、智光の魂を本来あるべき道へと誘った(いざなった)のである。仏様、菩薩様も、こうして現世の男女の情愛を助けとして、魂を導くことがあるということだ。」

 

原典『古本説話集 下 真福田丸事』

  参照した版 講談社学術文庫『古本説話集』全訳註 高橋貢

        岩波書店 新日本文学大系『宇治拾遺物語/古本説話集』

 

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