美術エッセイ    口をあく人      -鴨居玲・香月泰男・フランシス・ベーコン- 
                                                             小原 優    
 
  人が口をあくのはどういうときだろう。息を吸い、吐く。ものを食べ、飲む。(ときは、それを戻して吐瀉する) あくびをする。声を発する。話す。臨終のときには開いた口から霊も出ていくか。
口を通して出たり入ったりするものは、言葉を除けば、空気か物であり、口を開閉するのは、生理的次元の動作だ。人を生きた動物に引き戻すのだ。口が閉じられているとき、ヒトは人を感じさせるが、ひとたび口をあんぐり開けるやいなや、人は人になる以前の、人の上皮がはがれ、普段は見えない、奥底からの何かが噴き出してくるような気がする。人のそんな顔は、ぼくを落ち着かせない。見てはならないものに対面させられたような、ひとたび見てしまったら何かの拍子に突然網膜に映って日常が剥がれ落ちてしまうような、そんな衝撃・動揺を受けるのだ。
 
鴨居玲は、一九八五年に五七歳で死んだ。多量の睡眠薬をウィスキーで流し込み、発見され救急車を呼ばれたが、そのまま絶命した。
「肖像」はその半年前に描かれた自画像だ。91,0×72,7の世界は、くすんだ焦げ茶で統一された、横向きの上半身がわずかに明るい。右手はズボンのポケットに差し込まれ、左手は自らの顔面を脇腹あたりに持つ。顔面をはぎ取られた頭部は卵形ののっぺらぼうだ。
上半身のポーズは、晩年の人物像に多く描かれたように、背を後ろに倒し、わずかに反らした格好だ。古びた大理石のような頭部は、いくぶん下方を向き、まるでたった今剥がれた自らの顔面を不思議そうに、あるいは名残惜しそうに見やる角度だ。
左手でつままれた顔面は、白髪の混じった長髪をなびかせ、豊かな頬髭が顔面をふちどる。大きな眼窩はくぼんで暗く、すでに光を宿していない。閉じられた右眼は落ちくぼみ、左目を含む顔半分はすでに死の領域に属している。その日本人離れした高く美しい鼻の暗い陰影を作ることにしか役立っていない。そして、口は……半開きにされた黒い口腔は、暗い闇を吐き出しているようにも、詰め込んでいるようにも見える。
ぼくは、この呆けた表情と向き合い、画家が込めたであろう思いをつかもうとするが、何も伝わってこない。半年後に死ぬ自分を憐れんでいるのか、仕方ないと諦めているのか、画業・志半ばで逝くことに未練を残しているのか、創作という重荷からやっと解放されるという安堵感を表しているのか……ぼくは、さまざまに思って、口を半開きにして疲れ切ったような呆けた顔に当てはめてみるが、何の反応も返ってこない。あらゆる思いは、卵形の頭部と、そこから剥がれ落ちた顔面との間だけで閉じているらしい。
 
坂崎乙郎という美術評論家がいた。彼は、鴨居の死の半年後、追うようにして自殺したが、二人は死ぬ八年前に誌「みずゑ」(1977年8月号)で対談している。坂崎は時に自らの暗いロマン主義的な思いを吐露しつつ、深く鴨居の内面に詰め寄る。そして、鴨居からこんな発言を引き出している。癌を患う友人を見舞った体験を述べて、「自分も早くガンにならないかなと夢見ているんです」「だんだん滅びていく自分を、ガンの虫に滅ぼされていく自分を描き続けたいんです」「私は宗教も持ってないし、何にも持っていない人間で、死という厳粛なる一瞬をどう迎えたらいいかわからない、心の準備が全くできてない人間ですけど、最後に自分の滅びていく肉体を毎日描けるところまで描き続ければ、意外とそれはすり替えられると思うんです」
鴨居のデッサン力、油彩する速さと集中力は物凄かったらしいが、その行為の最中だけは、生を燃焼できたことだろう。が、筆を置いたのちに残るのは、虚脱感と燃えカスばかりだ。死に魅入られた自分を忘れるために描くが、短時間の燃焼と、直後の空虚感、また、絵筆を握って燃焼、この繰り返しだったのだろう。
 
鴨居はしばしば自死を口にし、狂言自殺めいたものを起こして周りの人々をヒヤリとさせ、ついには成功したが、彼の描く人物画はそれを裏切るかのように<生>を訴えている。体をくねらせたような曲線は、酩酊した浮遊感ばかりでなく、「踊り候え」と人と自らを煽り立てる生の躍動感を表している。世紀末のアールデコが花柄や渦巻き模様で生の息吹を表現したように、あるいは人の生きた脳波が波線で画面表示されるように、鴨居が晩年に描いた自画像や酔漢やピエロはみな、上半身・全身を踊るようにくねらせ、反らせ、揺らしている。
死と生の境界線上を、向こうにふらり、こちらにふらりと踏み迷っている。生きるのは苦しく、見知らぬ死の世界へのあこがれもある。しかし、死んだら終わりだし、この世への未練もある。特に、対談の五年後に大作「1982年 私」で自らの決して長くない画業の集大成をなしたあとは、しばしば「もう描くことがなくなった」と口にする。それから三年後に彼は死ぬが、その間、生と死の境界をふらふらと踏み迷いながら、その酩酊状態にある自分が人の目にどのように映っているかをじっと観察している鴨居がいる。
 
自らを救ってくれる<神>を求めて、鴨居は数年おきに「教会」を描いた。が、その角張った暗い石造りの建物には入り口も窓もなく、しだいに傾き、宙に浮かび、あるいは水底に沈んだような画になっていく。生の意味を西洋の神に探しても、南米や西欧を放浪しても、長きにわたって心を安らげる居場所は見つからない。常に死に惹かれる自分を押しとどめて、この世に心から落ち着かせてくれる安寧の地はない。あの憔悴した顔、呆けた口は、ここにもない、ここにもない、と呟いているかのようだ。
彼の生き方には、自分の生を強引に肯定する力強さが乏しく、その画業には、古今東西の膨大な絵画からがむしゃらに学び取り奪い取って自分のものにしたり、同時代の新しい流れ・思潮から影響を受けたりということが少ない。そういう意味では彼の人生も画業も狭く、弱々しく、暗く、内向きで、エネルギーに乏しく、頼りなく、見ていてもどかしい。それを表したものが「肖像」だ。
この全く光を宿さぬ眼窩と、呆けたように空ろな半開きにされた暗い口の人物画に、なぜ僕は惹かれるのか。この顔は、鴨居が、何のために生きるのか、生の意味を求めて、もだえ苦しみ、試行錯誤し、酒でごまかし、カンバスに内面をぶつけ、……しかし、結局その答えを見出すことができなかった、挫折した、弱々しく無力な人間のなまなましい姿を表している。ぼくはその姿に共感するのだ。さらに言えば、ぼく自身、何のために生きているのかという問いを感じてはいるのに、それを持続的に問うことを怠り、またその力もなく、日々の忙しさをよき口実にして目をそらしている。そんなずるい自分に代わって生の意味を問い続ける強さと、しかし失敗した弱さとをあわせ持つ鴨居自身の姿を作品「肖像」に見出すからだ。
 
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香月泰男は、一九四三年四月から満洲国ハイラル市で兵役を務めた。実践に加わることはなく、敗戦と同時に貨物列車でシベリアに移送された。四七年五月に復員。四五年十一月から約一年半にわたって、シベリア奥地のセーヤ収容所およびチェルノゴルスク収容所で森林伐採、製材作業や、壁の石灰塗り、穴掘り作業に従事させられた。シベリア抑留中の体験を基にした作品群が五八年ごろから断続的に描かれ、「シベリア・シリーズ」は最終的には五七点となった。
「北へ西へ」(72,9×116,7)は五九年の作で、シリーズの中では初期に当たる。各作品には香月自身の手になる説明がつく。……「一九四五年九月、奉天を発った虜囚の貨物は行く先も告げられぬまま北上する。人いきれにむれる貨車のわずかな窓にむらがり、なお捨て切れぬ帰国への希いにさいなまれながら、行き先を知ろうと懸命であった」
鉄格子のような貨車の窓枠が五本、画面を縦に区切っている。奥の暗がりから八つの顔が浮かんでいる。前に三つ。後方に五つ。一つの車両に五十人ほどが詰め込まれたと言い、背後の人々から押されているのか、八人は窓枠に顔を押し付ける。貨車の中に充満する人々の屎尿や嘔吐の臭い、しみ込んだ家畜の臭いから逃れ、新鮮な空気を求めて、また、このまま日本に送り返されるのではないかという希望のわずかな痕跡を探して、窓外へ一心に目を凝らす。が、外に見えるのは、ひと月前までこの地を支配し、今は家畜車両に詰め込まれて移送される日本兵に対する、現地人の憎悪と嘲笑と侮蔑のまなざしである。時には、リンチにあって転がされた死体も見かけたと言い、両腕を後ろに巻かれ、上半身の皮をはがされた赤剥けの死体も、香月は描いている。
八つの顔はどれも頬がこけ、口を薄く半開きにし、まぶたが重い。両眼は黒く塗りつぶされて骸骨のよう。鼻は太く、まっすぐで、険しい山のようだ。高いのではなく、頬がごっそり削げて、両側から黒に浸食されたために、鼻が浮き彫りにされたのだ。香月は「シベリア・シリーズ」で描かれた「顔」について、こう述べている。……「私の顔は、どれも同じような顔である。〝シベリア・シリーズ〟に登場する顔には個性がない。わざと個性を捨象したのだ。兵隊は兵隊である限り、個性を奪われていた。私は兵隊たちを描く。同じ顔で描く。私が描きたいのは、個々の兵隊ではなく、兵隊そのものであるからだ」
「北へ西へ」の八つの顔も、前列と後列でわずかに濃さのちがいはあれど、みな同じ顔だ。格子をつかむ三つの握りこぶしの方が、かえって表情が豊かだ。が、個性を捨象された同じ顔だからこそ、その顔からうかがえる内面、心の叫びは暗く渦巻くように切実なものがある。……眼前の風景は南へ東へ流れ去っていく。懐かしい故国はどんどん遠ざかる。どこへ連れていかれるのだろうかという不安。やはり噂どおりシベリアという酷寒の地獄へ送られるのか。日本には生きて帰れるのだろうか。妻や幼い息子、まだ見ぬ娘、懐かしい母にはもうこの世で会うことはないのか。いや、そんなはずはない。どこかで停まるはず。そして、薪や水を補給して、必ずや引き返すはず。かすかな希望の兆候を求めて、窓外の景色に視線を凝らす。窓枠を固く握りしめ、祈るような眼差しで、窓外を、私たちを凝視する。
頬がこけ、黒くえぐられた逆三角形の眼窩と、いちように半開きにされた口は、個性を奪われているからこそ、さまざまな感情をたたえ、見る者に訴えかける。不安、絶望、悔悟、希望、望郷、恐怖、祈り……
セーヤ収容所では毎日の作業が過酷だった上に、配給もわずかだったために、多くの者が栄養失調と過労で死んだという。「二百五十名のうち、三十名以上は死んでいるのではないかと思う」 ソ連軍からは、人間とはみなされず、消耗品として労働に駆り出されていた日本兵はみな骨と皮ばかりになり、ある朝、冷たい死体として発見されることがしばしばだったという。そのたびに、香月は死顔をスケッチした。その何枚ものスケッチは遺族に手渡すことかなわず、帰国前にソ連兵によって燃やされたという。しかし、「彼らの一人一人は私の中に生きている。私が〝シベリア・シリーズ〟で描く顔、私がようやく発見することができた顔〝私の顔〟は、あの死者たちの顔に他ならない。肉が落ちきり、目がくぼみ、頬骨が突きだした死者たちの顔は、こけ方がひどかっただけに、光と影のコントラストをくっきりとつけ、中世絵画のキリストのデスマスクのような哀しい美しさを示していたのは確かである」
酷寒の地で亡くなった日本兵たちと同様に、削げた頬、黒い眼窩、半開きにされた口として描かれた「北へ西へ」の八つの顔は、個性を捨象されているからこそ、絶望と希望、恐怖、望郷の念などさまざまな感情を滲みだしている。
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フランシス・ベーコン「ベラスケスの法王イノセント十世の肖像に基づく習作」<1953、153×118>
金の玉座に腰掛ける法王の座像。しかし、ベラスケスの描く王に漂っていた威厳と落ち着きは剥奪され、ショックと戦慄で画面に緊張が走る。法王は紫のケープと帽子を身につけ、腰から下をゆったりとした白衣で蔽っている。両足はない。両の腕は肘掛に持たせてあるが、それはくつろぐためではなく、或る予感ののちに、今まさに襲いかかる戦慄すべきものに身を引き剥がされないため、あるいは、全身の震えを抑えるためだ。
画面全体は太さもまばらな無数の線によって垂直に引き裂かれている。眼鏡が外れかかり、目をむき、上下の歯もあらわに口を大きく開けた法王の顔は、恐怖の叫びを発しているが、彼にそうさせたのが、この垂直に降り注ぐ線であるのは明らかだ。
ムンクの「叫び」では、男に巣食う不安は、太くゆがむ縦の曲線で表されたが、ベーコンは垂直の線で恐怖を表す。だが、この線は、いったい……法王に襲いかかったものを象徴しているのか、それとも彼の内部組織、神経を視覚化したものなのか。
彼はまた、逃げたくても逃げられない。身体の周囲は黄色い線によって包囲されている。私たちには見えない強化ガラスによって閉じ込められていて、脱出は不可能だ。彼の叫びもこちらに聞こえてこない。ただ、彼の恐怖にゆがんだ相が見えるばかりだ。
若き日のベーコンは、エイゼンシュテイン「戦艦ポチョムキン」に感銘を受け、とりわけ「泣き叫ぶ乳母」のショットに強い印象を受けたと言い、「いつか人間の叫びを描いた最高傑作を制作したい」と語っている。さらに、プッサン「嬰児虐殺」の叫ぶ口、あるいは或る古書に載っていた「病気になった口の様子、開いた口と、その中の状態」の図版画目に焼き付いていたとも語っている。
ベーコンの絵は、ふだん隠されていたものを、蔽うことで露わにする、剥き出しにするものであり、この絵も垂直に降る無数の線で蔽うことで、体内の神経組織を剥き出しにする、させられる居心地の悪さを、激しい震えとともに呼び覚まされる。
法王の開けた口腔は、或る戦慄が降りかかる以前の平穏なときを思い起こさせ、そして今この瞬間の恐怖の予期せぬ襲来を感じさせる。そんな心理的・時間的推移を瞬間的に定着した絵であり、動画の要素を含む。
ベーコンの描く「開けた口」は、恐怖によって理性が剥奪されて、人間が理性を身につける以前の動物的衝動へ退行させられる瞬間を定着したものなのであり、だからこそ、見る私たちを、不穏な、落ち着かぬ気分にさせるのである。
 
 ここにあげた三枚の絵は、(オーラは消されるが)ネット上で簡単に見られる。
 「鴨居玲 肖像」「香月泰男 シベリア 北へ西へ」「ベーコン ベラスケス 法王」などで検索されたい。
 
   
     
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